「シャルドネはひとつではない」
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栽培は100%シャルドネのドメーヌだが、「シャルドネはひとつではない」と語るペテルス。ペテルス家が継承してきた様々な特徴を持つシャルドネを使用する複雑味あふれるブラン・ド・ブラン。
このドメーヌは、ガスパール・ペテルス氏が、ぶどう栽培農家の娘ドゥエ女史と結婚したことにより、1858年からぶどう栽培専業農家として始まりました。その後、息子のルイ・ジョセフ・ペテルス氏の代まで続きました。シャンパーニュの元詰め販売は、戦争から帰還したルイ・ジョセフ氏の息子カミーユ氏が、1919年、『カミーユ・ペテルス』のブランド名で、レコルタン・マニピュランとして始めました。1920~30年はシャンパーニュにとって“熱狂”の時代で、ネゴシアンが大躍進しました。カミーユ氏も増産を行い、1929年の世界恐慌時には100%元詰めとなりました。1932年、カミーユ氏の息子ピエール・ペテルス氏は、12歳の時から自社ブランドを広めるべく活動を行いました。この時代に、カミーユ氏はメニルで最も著名な畑のひとつ、レ・シェティヨンを購入しました。1946年にピエール氏は、ドメーヌ名を自身の名前『ピエール・ペテルス』に変更しました。1967年、ピエール氏は息子のフランソワ氏にドメーヌを相続し、自社畑も20haまでに拡大しました。相続で分割されていたレ・シェティヨンの畑も1.2haまで再購入しました。2007年、3代目としてロドルフ・ペテルス氏がドメーヌを引き継ぎました。1970年生まれのロドルフ氏は、著名な醸造家ジャック・ペテルス氏(ヴーヴ・クリコの元醸造長)を叔父に持ち、とても恵まれた環境で育ちました。現在では、多くのコンサルタントも手掛けるなど、メニルを代表するシャンパーニュの醸造家としての地位を確立しています。